大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

福井地方裁判所 昭和28年(行)1号 判決

原告 中島繁

被告 金津町長

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、

(一)  被告が福井県坂井郡金津町土地区画整理事業(以下土地区画整理と云う)の施行者として、

(1)  別紙目録記載の第一の(一)ないし(三)に示す原告、訴外林喜助、石田正雄の各従前の所有地に代るべき土地として昭和二十四年八年四日為した同第二の(甲)に示す換地予定地の指定(以下第一次指定と云う)につき昭和二十七年十月四日為した右第一次指定を変更し同(乙)に示す土地を換地予定地とした変更指定(以下第二次指定と云う)及びこれに基き換地として第三に示す土地を定めた換地指定(以下本換地指定と云う)を各取消す。

(2)  原告に対し

(イ)  昭和二十八年二月十八日金都第一一〇号を以て別紙目録記載の第四の(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)の家屋その他の工作物について為した移転命令、

(ロ)  同年四月六日金都第一二三号を以つて同(イ)、(ロ)、(ハ)の塀及び物置について為した代執行の通知、

(ハ)  同年七月二十二日金都第一五三号を以つて同(ニ)の住宅その他附属物一切について為した代執行の通知、を各取消す。

(二)  被告は別紙目録記載の第四の(ホ)の家屋を他に移転せしめ、同(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)の家屋その他の工作物を代執行前の換地予定指定地(第一次指定地)に移転し、これを原状に回復しなければならない。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決を求め、その請求原因として、

(一)  原告は福井県坂井郡金津町北陸線登津駅前において前示第一の(一)の(ニ)、(ホ)、(ヘ)の宅地合計二十坪を所有し同地上に店舗を設けて飲食店を営んでいたが、昭和二十三年六月二十八日福井地方の震災で倒壊し、金津町も亦壊滅したので被告がその事業の施行者となり土地区画整理事業が発足し、原告の右所有地も区画整理区域内に指定せられた。

(二)  そして原告は倒壊店舖の再建を計画し、当時の土地区画整理事業担当技師塚田利顕及び金津町役場主事五十嵐松太郎に相談したところ、原告の右所有地だけでは、いわゆる過少宅地として買収せられ金銭で清算せられる虞があるから、換地を得るには隣地を買増しておく必要があるとのことであつたので、原告は同年十二月二十一日前示第一の(イ)、(ロ)、(ハ)の土地合計十八坪を代金四万五千円で他から買い受け換地処分の際過少宅地としての処分を免れるよう努力した。

(三)  その後被告は前示第一の(一)ないし(三)に示す原告、訴外林喜助、石田正雄の各従前の所有地に代るべき土地として前示第二の(甲)の(一)、(二)、(三)の各土地をそれぞれ換地予定地として指定(第一次指定)し、昭和二十四年八月十一日付書面でその旨を通知して来た。それによると原告に対する第一次指定地は金津駅前北西の角地(以下角地と云う)に当つていた。

(四)  そこで原告は右角地の東側において南北に通ずる十一号線の巾員が六米であつたので、この点を考慮に入れ昭和二十四年五月二十日建築許可を得、さらに第一次指定地(角地)の位置についても金津町係員五十嵐松太郎外一名の指示を受けた上入念に右指定地上に木造瓦葺二階建店舖兼住宅一棟建坪二十七坪六合、外二階二十一坪八合七勺の本建築に着工し、同年十二月末竣工したので飲食業を再開した。

(五)  然るに被告は第一次指定から三年余を経過した昭和二十七年十月四日十一号線の巾員を四米から六米に変更したとの理由で突如第一次指定を変更し、原告等に対する仮換地を前示第二の(乙)の(一)、(二)、(三)の各土地とする旨それぞれ変更指定(第二次指定)したが、これにより原告が指定を受けた土地は前記角地からさらに約一戸分西側に当ることとなり、第一次指定により原告に与えられた角地の一部は訴外石田正雄に、他の一部は訴外林喜助に対する仮換地として指定せられるに至つた。

(六)  そこで原告は同年同月十六日福井県知事に対し、また同月二十日及び昭和二十八年二月二十四日の二回にわたり被告に対し、各第二次指定についての異議の申立を為したところ、被告は先の異議については昭和二十七年十一月二十一日郵便で異議申立書を原告に返送し、二回目の異議については知事と共に未だに何等の裁決をしない。

(七)  それにも拘らず被告は原告に対し、

(1)  昭和二十八年二月十八日付金都第一一号「家屋その他工作物件移転命令と題する書面」で、原告の第一次指定地上に在つた原告所有の前示第四の(イ)、(ロ)、(ハ)の建造物を同月二十八日までに、同金都第一一〇号「家屋その他工作物件移転命令と題する書面」で、同地上に在つて同第四の(二)の家屋を同年三月二十日までにそれぞれ第二次指定地上に移転すべきことを命じ、

(2)  ついで同月三十日付金都第一二〇号「戒告書」をもつて同年四月三日までに右第四の(イ)、(ロ)、(ハ)の建造物を移転しないときは代執行する旨を戒告し、ついで同月六日付金都第一二三号「代執行令書」をもつて右建造物についての代執行日を同月十日午前十時と定めて原告に通知した上、右日時代執行を実施して右各建物を取毀つて了い、

(3)  さらに同年七月十八日付金都第一五二号「戒告書」をもつて、前記第四の(ニ)の家屋を同月二十一日までに移転しないときは代執行する旨を戒告し、ついて同月二十二日付金都第一五三号「代執行令書」をもつて右家屋についての代執行日を同月二十三日と定めて原告に通知した上、同年八月二日その代執行を実施して右家屋を前記第二次指定地上に移転して了つた。

(八)  かくて、原告所有の建物及び工作物の一部は取毀たれ、その店舖は代執行の実施により前記角地から約一戸分西側へ移転させられ、飲食店の経営上、地の利を失い多大の損害を蒙つている反面、訴外石田正雄が第二次指定によつて与えられた土地、すなわち、第一次指定によつて原告に与えられた角地上にはその借地人である右訴外人の父訴外石田惣二が前示第四の(ホ)の家屋を建て同所で原告と同一の飲食店を経営するに至つたのである。

(九)  けれども、

(1)  第二次指定は次のとおり違法であつて取消を免れない。すなわち

(イ)  第二次指定は被告と同訴外石田惣二との特別の情実関係から、設計当初巾員が六米であつた十一号線の巾員を四米から六米に変更したとの理由で石田正雄(右訴外人の息子である)に前記角地を与える目的で為された被告の職権濫用によるものであるからもとより違法である。(以下職権濫用の主張と云う)

(ロ)  訴外林喜助の従前の所有地は前示第一の(ニ)に示すとおり宅地十三坪に過ぎないいわゆる過少宅地であるから、金銭で清算せらるべきものであるのに、右宅地に対しては金銭で清算することなく、前示第二の(甲)の(ニ)の土地を換地予定地として指定(第一次指定)し、さらに同(乙)の(ニ)の土地を変更指定(第二次指定)したのであつて第二次指定はこの点でも違法である。(以下過少宅地の主張と云う)

(ハ)  第二次指定は適法な土地区画整理委員会(以下委員会と云う)の諮問を経ずに為された違法がある。詳言すれば、被告が土地区画整理事業を施行するには、予め委員会の諮問を経ることを要し、金津町土地区画整理委員は土地区画整理区域内の土地所有者及び借地権者中から選挙の方法で選出することを要するが、実際上は選挙によらず被告が当時の金津町議会議員全員を右委員に委嘱したのであつて、これ等の委員によつては構成せられる委員会は適法な委員会とはみられないのであるから、昭和二十七年九月二十四日被告が為した右委員会に対する第二次指定案の諮問は違法であつて諮問の効果を生じない。それ故に第二次指定は委員会の諮問を経ずに為された違法である。(以下区画整理委員会不適法の主張と云う)

(ニ)  また金津町土地区画整理施行細則(昭和二十三年十月二十三日金津町条令第二号)(以下施行細則と云う)第三十条によれば「換地予定地発表後は特別の事情があるものの外は換地の位置は変更しないものとする。但し土地所有者双方が利益と認め連署で申出のあるときはこの限りではない。」と定められているのに、被告は右に云う「特別の事情」もなく且つ右但書に該当する事由もなかつたのに前記のとおり第一次指定の発表後これを変更して為した第二次指定は違法である。(以下特別事情に関する主張と云う)

(2)  つぎに前記各移転命令及び各代執行の通知は、いずれも、右のとおり違法な第二次指定を前提として発せられたものであるから、その違法を承継した違法なものであつて取消を免れない。(以下移転命令代執行に関する主張と云う)

(3)  さらに、原告は、その後被告が原告、林喜助、石田正雄に対して本換地指定を為したことは知らないが、仮に本換地処分が為されたとしても、本換地指定は前記の(九)(1)の(ハ)と同本換地指定案について委員会の諮問を経ずに為された違法があり且つ同(2)と同様前記第二次指定の違法を承継した違法なものであるから取消を免れない。(本換地違法の主張と云う)

(十)  よつて原告は被告に対して原告、林喜助、石田正雄に対する前記各第二次指定及びこれに基き原告に対して発せられた前記各移転命令並に各代執行の通知の取消を求めると共に、別紙目録記載の第四の(ホ)の建物を他に移転し、同(ニ)の家屋を代執行前の第一次指定地上に移築しこれを原状にし且つ同(イ)、(ロ)、(ハ)の各工作物を第一次指定地上に回復すべきことを求める。

と述べ、被告の本案の各主張及び本案についての六の各主張を否認した。(立証省略)

被告訴訟代理人は

(甲)  本案前の主張として、

(一) 裁判所は行政庁である被告に対して作為又は不作為を命ずることはできないから、原告の請求中(二)の部分は裁判所の権限外の事項に属し不適法である。

(二) つぎに原告が取消を求める第二次指定はその後昭和二十九年三月十八日各従前の土地についての本換地処分が行われ、同年八月十七日福井県知事から認可せられ、同日付県報で告示せられ、昭和三十年六月十五日付書面でその旨を原告に通知し、その書面は同月十七日原告に到達したのであるが、昭和三十二年五月二十日その登記を完了し本換地処分の効力を発生したのである。ところで原告は本訴の進行中に右本換地指定の取消をも併せて求める旨の請求を追加したけれども、第二次指定の取消の訴訟と本換地指定取消の訴訟とはその請求の基礎を異にするから、右請求の追加については異議がある。

(三) 仮に右の請求の追加が是認せられるとしても、被告は本換地処分案について昭和二十九年三月十八日から法定期間一般の縦覧に供したけれども、原告は法定期間内に所定の異議を申立てなかつたのであるから、本件原告の請求中本換地の取消を求める部分は異議手続を経ない不適法な訴訟として却下せられるべきである。

と述べ、

(乙)  本案について、原告の請求を棄却する、訴訟費用は原告の負担とするとの判決を求め、原告主張の事実中(一)、(三)、(五)、(七)の(1)、(2)、(3)の各事実、原告が第一次指定地上にその主張の家屋等を所有していたこと及び現在原告、石田惣二が原告主張の第二次指定地上にその主張の家屋を所有していることは認めるけれども、その余の事実はすべて否認する。すなわち、

(一) 第二次指定(第一次指定の変更指定)は被告の職権濫用によるものではない。詳言すると、

(1)  本件土地区画整理事業は昭和二十四年二月二十八日建設大臣の認可を得て発足したものであるが、当初被告は原告主張の十一号線の巾員を六米として設計しこれに基いて同年一月二十七日認可申請を為したが、その直後実側に着手した結果その巾員六米を保持するときは事業の遂行が困難となる状況が判明したので、これを四米に変更することとし、同年八月四日第一回委員会を開き四米の巾員を基準として仮換地を定め、同月十一日その旨を原告等関係者に通知し、翌十二日から同月二十日まで一般の縦覧に供し、第一次指定を終了した。唯形式上はその認可手続がおくれたため昭和二十七年一月二十七日付でその変更認可があつたことにはなつているが、実際上は当初の事業認可申請直後から巾員を四米に変更して仮換地手続を進めていたものである。

(2)  ところが、その後同年八月八日都市計画の幹線街路に対する国庫補助金が交付せられることとなり、その補助金交付の対象として建設省から十一号線の巾員を四米から六米に変更するよう指示があつたので、被告はその補助金を受けるため同年九月二十四日第一次指定を変更し、改めて十一号線の巾員を六米と設計変更し、これを基準として第二次指定を行い同年十月四日付でその旨を原告等関係者に対して通知したのである。

(3)  そして訴外石田惣二はもと金津駅前角地十三坪を訴外林喜助から借地して店舖を設けていたが、第一次指定が発表せられるや自己が角地を与えられなかつたため昭和二十四年八月二十日付書面で被告に対し異議を申立て且つ陳情したので、被告としては陳情の趣旨のとおり、右(1)、(2)に述べた特別の事情の外に、もと角地を使用したものに対しては成る可く角地を与えるべきものと勘案し施行細則第十二条、第十三条、第九条に従い右訴外人が借地権を有した土地の仮換地として、その土地所有者である訴外林喜助に対して角地を与えることにより、その借地人である訴外石田惣二をして角地の使用が可能となるようにしたまでのことである。

それ故に第二次指定は被告と訴外石田惣二との間の特別な情実関係から被告が何等の理由もなくその職権を濫用して為したものであるとの非難は当らない。

(二) また訴外林喜助に対する第二次指定も違法でない。詳言すると、同訴外人の従前の土地は僅かに十三坪のいわゆる、過少宅地であつたが過少宅地であつても必ずしも買収の上金銭で清算することを要するものでなく、これを買収の上金銭で清算するか、外の所有地と合せて増換地するか、或はこれ等の方法によらずに仮換地を与えるかは全く被告の裁量に一任せられている。(施行細則第三十一条参照)。そして実例としても右訴外人の外にも過少宅地の所有者に対して仮換地を与えたものが多数存在する。(十坪以下のものにつき五件、十坪以上二十坪以下のものにつき二十七件、二十坪以上三十坪以下のものにつき六十件)。それ故に被告が右訴外人の過少宅地に対して仮換地を指定したことは被告の裁量行為の範囲に属するものであつて違法でない。

(三) 第二次指定は委員会の諮問を経て為されたものであつて違法でない。すなわち、震災復旧都市計画事業金津町土地区画整理委員会規程(昭和二十四年三月二十八日金津町条令都第三号)(以下委員会規程と云う)第一条に定められているとおり、右委員会は被告の諮問機関に過ぎず、且つその委員の選任は金津町における選挙規程に準じて選挙の方法で選出せらるべきことは同規程第三条に定めるとおりである。ところが金津町においては右に云う選挙規程が無かつたので当時金津町一般住民から選挙の方法で選出せられていた金津町議会議員全員を被告から右委員に嘱託し、第二次指定案について右委員を以つて構成する委員会に諮問しその審議を経ているのである。それ故に第二次指定案について委員会の諮問を経なかつたと云う非難は当らない。

(四) 第一次指定を変更して第二次指定を行つたのは、施行細則第三十条に定める「特別の事情」が存在し、その「特別事情」に基いて行つたのであつて何等違法でない。すなわち被告がすでに本案についての答弁中で述べた前記(乙)の(一)の(1)、(2)、(3)の各事実が右に云う「特別事情」に当るものである。

(五) そして第二次指定が違法でない限り、これに基いて発せられた原告主張の各移転命令及び各代執行の通知も亦違法でないことは明白であるから、この点についての原告の(九)の(2)の主張は失当である。

(六) なお昭和二十九年三月十八日委員会の諮問を経て前記(甲)の(二)に述べたとおり本換地は適法に指定せられすでに昭和三十二年五月二十日その登記も完了し、これによつてその効力を発生したのである。それ故に仮に原告の主張するとおり第二次指定が違法であり、従つてその主張する各移転命令及び各代執行の通知が違法であつたとしても、すでに本換地処分の効力が発生した今日においては、第二次指定及びこれに基く各移転命令及び各代執行の通知の取消を求めても本換地処分の効力が取消によつて消滅しない限り全く無意味であるから、原告においてそれ等の取消を求める利益を有しない。

(七) さらに仮に以上被告の主張のすべてが是認せられないとしても、本換地処分に基く換地が現実に完了した今日において、原告唯一人のため、第二次指定、各移転命令、各代執行の通知、本換地指定の各取消を為すことは、累を他に及ぼしその影響するところが甚大であるから、行政事件訴訟特例法第一一条第一項に定めるいわゆる「公共の福祉」に合致しないものとして原告の各請求は棄却せらるべきである。

と述べた。(立証省略)

理由

(一)  先ず被告の(甲)の(一)の主張、すなわち原告の(二)の請求の適否について考える。

被告の主張するとおりおよそ行政事件訴訟においては、行政庁が或る行為を為すべきことを法律上義務づけられている場合であつても、その作為義務の履行を訴求することは、判決が行政庁を拘束する点に鑑み、憲法上の三権分立の原則上許されない。けれども本件原告の請求は、その主張の各移転命令及び代執行の通知が違法であること、従つてこれ等に基いて発生せしめられた状態が違法であることを主張してその違法な状態を排除するため、各移転命令及び代執行の通知の取消を求めると共に、原告の有する第一次指定地の使用権に基き原状回復を求めようとするものであるから、右請求は右各移転命令及び代執行の通知の各取消請求と関連する請求として行政事件訴訟特例法第六条第一項により裁判所の権限に属すると解せられるので、被告の右主張は理由がない。

(二)  つぎに被告の(甲)の(二)の主張、すなわち、原告の請求の追加の適否について考える。

原告が本件訴訟の進行中昭和三十二年四月十六日の口頭弁論期日において請求の趣旨訂正申立書に基き従来の第二次指定等の取消請求の外に、本換地指定の取消請求を追加し、被告がこれに異議を述べたことは記録上明白である。けれども、第二次指定も本換地指定も共に原告等の従前の同一所有地について為されたものであること後記のとおりであり(この点で右両請求はその請求原因の生ずる事実関係の重要部分が共通する)、且つ本件本換地指定は仮換地指定手続を経て行われるのであるから、本換地指定手続の内仮換地指定手続に至るまでの手続は同一である(この点で右両請求は請求原因の生ずる法律関係の重要部分が共通する)上に、仮換地指定当時において、すでに後日本換地指定を行うべきことは被告の当然の職務であるから、本換地指定取消の請求が追加せられても、被告の攻防に著しい障害もなく、且つそのため特に訴訟手続を著しく遅滞せしめるものと考えられないから、右請求の追加は許容せらるべきものである。それ故に被告の右主張も亦理由がない。

(三)  さらに、被告の(甲)の(三)の主張、すなわち、本換地処分の取消請求は訴願前置に違反して提記せられた不適法な請求であるとの主張について考える。

本件土地区画整理は都市計画法に基くものであることは施行規程(乙第十六号)第一条の文言によつて明白であり、原告は被告の違法処分によつて第一次指定地の使用権及び別紙目録記載の第四の(イ)、(ロ)、(ハ)、(ニ)の各建物等工作物の所有権が毀損せられたことを主張するものであるから、都市計画法第二六条第二五条第二項(第二五条第二項及び第二六条中に行政裁判所とあるは、同裁判所が廃止せられ、司法裁判所がこれに代つて行政事件訴訟を管掌するに至つた今日においては、司法裁判所と読替えるべきを相当とする)により被告の為した本換地指定処分に対しては訴願裁決を経ないで直に取消訴訟を提起することができるものと解するを相当とする。(なお同法には異議手続に関する規定を欠くから、異議手続を経由する必要はないものと解せられる。従つて異議手続を経ていないとの被告の主張は採用できない)それ故に被告の右主張は理由がない。

(四)  よつて本案について考える。

(1)  原告主張の(一)、(三)、(五)、(七)の(1)、(2)、(3)の各事実、訴外石田惣二が原告主張の第二次指定地上にその主張の各建物を所有していること及び原告が以前その主張の第一次指定地上にその主張の建物を所有していたことは当事者間に争がない。

(2)  そこで先ず原告の(九)の(1)の(イ)の職権濫用の主張について考える。

原告の主張中十一号線の巾員が当初から六米として設計せられ、原告に対する第一次指定も第二次指定も共に巾員六米を基準として行われたものであるとの点について理由のないことは後記(5)のとおりであるが、その余の点について、証人津谷仙吉、石田惣二、細川仙之亟、林卯右エ門、藤田義美、井上勝治の各証言及び原告本人尋問の結果を綜合すると、石田とし子は金津駅前で石田亭と号する飲食店を経営していたが、その後津谷仙吉と婚姻し昭和二十五年頃から別の場所で菊水亭と号する料理店を経営するようになり、石田亭の経営をとし子の妹春子の夫である石田惣二に譲つたが、とし子が石田亭を経営していた頃から達川高志が同亭に出入りし、菊水亭を経営するようになつてからも、金津町主催の宴会等が同亭で催された関係から金津町議会議員や被告も同亭に出入りしていたこと及びとし子が石田惣二の子石田正雄を養子としていることは判かる。けれどもそのため被告がその職権を濫用し専ら石田とし子、石田惣二、石田正雄の便宜のみを顧慮して原告の主張するように石田惣二が角地を使用できるよう故意に第二次指定を行つたものであることを肯認するに足りる証拠は何もない。それ故に原告の右主張は採用できない。

(3)  つぎに同(九)の(1)の(ロ)の主張(過少宅地の主張)について考える。

訴外林喜助が従前の土地十三坪に対して第一次指定により仮換地十坪五合を与えられ、ついで第二次指定により十一坪一合二勺の仮換地を得たことはすでに認定したとおり当事者間に争がない。

けれども、成立に争のない乙第十七号証施行細則第十一条第三号によると、「原則として画地標準地積としての換地は三十坪を下ることを得ない」旨を定め、第十八条によると「三十坪以上の換地を与えることのできない、いわゆる過少宅地は換地を交付せず金銭で清算する」旨を定めてはいるけれども、他方第二十条第二号によると「従前の土地が小さいため画地標準地積に達しないものであつても土地所有者の望するときは増換地することができる」旨を定めている上に、第三十一条には「この細則により難い事情があるとき及びこの細則に定めてはいないが、換地上適当であつて且つ簡易なものと認める事項については町長の定めるところによる」旨を定めていて、以上各規定を綜合すると、いわゆる過少宅地であつても必ずしも買収の上金銭で清算することを要するものとは考えられず、増換地することも可能であると同時に町長の裁量によつて三十坪以下の換地を与えることも亦可能であると解せられる。そして右に云う過少宅地とはいわゆる従前の土地の坪数が何坪以下のものを指すのかについて成立に争のない乙第十六号証(施行規程)、第十七条(施行細則)中に特段の定めがないばかりでなく、証人宮谷四部の証言(第二回)並にこれにより真正に成立したと認められる乙第十号証によると従前の宅地の面積が十坪以下のものに対しても仮換地を与えたものが三筆、同十坪以上二十坪以下のものに対して仮換地を与えたものが十四筆もあり、他方、指定せられた仮換地の面積が十坪以下のものが二筆、十坪以上二十坪以下のものが二十八筆もあることが判かる。それ故に被告が訴外林喜助のみに対して過少宅地に対する前記仮換地(従つて本換地)を与えたのは違法であるとの原告の主張は当らない。

(4)  つぎに、同(九)の(1)の(ハ)の区画整理委員会不適法の主張について考える。

本件土地区画整理は都市計画法に基くものであることはすでに認定したところである。そして前示乙第十六号証及び成立に争のない乙第二十三号証(委員会規程)を綜合すると、被告が右事業の施行者となり(施行規程第三条参照)、その諮問機関として土地区画整理委員会を設け(同規程第四条参照)、その委員会の構成員である委員は金津町における選挙規程に定める選挙の方法によつて選出すること(同規程第三条参照)が定められている。

ところで金津町における選挙規程が証拠として提出せられていないところからみて、同規定がなかつたものと推定せられ、被告が嘱託の方法で当時の金津町議会議員(いずれも公職選挙法に定める選挙の方法で一般住民の中から選出せられたもの)全員を土地区画整理委員に選び同人等に同委員を嘱託したことは被告の自認するところである。けれども議員は一般住民中から選挙の方法で選ばれたものであるが、その職務は一般的行政事頃について地方自治体の意思決定に関与するものであり、他方土地区画整理委員の職務は一般的行政事項に関与するものではなく、専門的な土地区画整理に関する事項についてのみ被告の諮問に応ずるものであつて、両者の間に性格を異にした点がある。それ故に、すでに選挙せられている町議会議員を土地区画整理委員に嘱託してもそれ等のものによつては適法な土地区画整理委員会は構成せられず、また、それ故にかかる委員会に被告が土地区画整理に関する事項(第一、二次指定案及び本換地指定案を含む)を諮問したとしても、適法な諮問を経たことにはならない。

ここで土地区画整理委員会における諮問の性質について考えるに、施行規程第三条に定めるとおり、右委員会は被告の単なる諮問機関であつて、その諮問事項は委員会規程第六条に定められている以外に、特に、同委員会が直接に利害関係人の立場を保護するためその者の意見を聴取し、またはこれと協議すべき旨の規定を欠いている点からみて、右諮問は単に行政行為の内容を妥当ならしめるための諮問に止まるものと解せられるから、その諮問を欠いた場合でも行政行為、すなわち、本件第一次指定、第二次指定及び本換地換定の効力を左右するものではなく、その無効または取消の理由とはならないものと解せられる。それ故に原告の右主張も亦採用できない。

(5)  つぎに同(九)の(1)の(ニ)の特別事情に関する主張について考える。

施行細則第三十条に原告主張の内容の定めがあることは前示乙第十七号によつて明白であり、被告は同条に定める「特別事情」に該当する事実として被告の主張する(乙)の(一)の(1)、(2)、(3)に示す各事実を主張しているから、先ず各の各事実が存在したかどうかについて考える。

(イ)  成立に争のない乙第一号証の一、三、四を綜合すると、本件土地区画整理は昭和二十四年二月二十八日建設大臣からその施行を命ぜられ、同年三月七日福井県知事から移交せられたが、その事業認可の申請はすでに同年一月二十七日行われ、知事から建設大臣の事業施行命令を移交せられた当時、右土地区画整理は震災復旧のため急施を要するから、建設省並に県の指導により法的事務措置に先んじて事実上事業を進行させていたこと及び当初の設計では原告主張の十一号線の巾員は六米、延長は二百六十三米であつたことが判かる。

(ロ)  しかし、証人越野一男、塚田利顕(第一、三回)、宮谷四郎(第一、二、三、四回)、遠藤武一(第一、二、三回)、五十嵐松太郎、阪本徳五郎の各証言及び成立に争のない甲第一号証の一、二、乙第二号証の三、四を綜合すると、当初十一号線の巾員を六米として設計したものの現実に測量に着手してみると、右道路の東側は国鉄用地であるためこれに喰い込んで六米の巾員を維持することはできず、さればと云つて、右道路の西側にある民家を切り取つてまで六米の巾員を維持するのも穏当を欠くことが判つて来たので、当初の設計を変更し、十一号線の内金津駅前から北方へ二百二米までの部分は巾員四米(本件係争地の東側の道路はこれに当る)、その余の部分のみ巾員六米とすることに設計変更し、本件係争地附近の巾員は四米を基準として昭和二十四年八月四日第一次指定を行い、同月十一日原告等関係者にその旨を通知したが、右設計変更認可の手続のみがおくれたため知事から昭和二十六年三月十三日認可せられたことになつていることが認められる。他方、成立に争のない甲第八号証の一及び原告本人尋問の結果によると、原告は昭和二十四年三月四日所轄外である三国土木出張所を経て建築許可申請を為し、同年五月二十日県の許可を得たけれども、その許可申請に際して原告が添付した本件都市計画図面は、すでに認定した日時の関係からみて十一号の巾員を六米とするものであつたことが推察せられ、同時に県側においても巾員六米を四米に変更許可する以前のことであつた関係から、巾員六米で設計どおり実施せられるものとして右建築の許可を為したものと推察せられる。

けれども、実際においては、前示乙第一号証の三に明かなとおり、本件土地区画整理は震災復旧のための急施事業であつた関係から、法的事務措置に先んじて事実上の区画整理が早急実施せられていて十一号線の巾員を四米として、これを基準として昭和二十四年八月四日初めて第一次指定が行われ、同月十一日原告に対してその旨を通知し、昭和二十六年三月十三日その許可があつたのであるから、早くとも右昭和二十四年八月四日以前においては原告は十一号線の巾員六米を基準とする仮換地を与えられる法律上の根拠がなく、原告に対する第一次指定は十一号線の巾員四米を基準として為された仮換地であつたと云い得る。

さらに事実上においても、原告本人尋問の結果によると、原告は前記建築許可に基き建築に着手する以前昭和二十四年十月上旬頃金津町係員から仮換地せらるべき土地についての指示を受け、入念に建築工事を進めたことは判かるけれども、同時にその指示は新しく杭を打つ方法で為されたものではなく、第一次指定以前の昭和二十四年六月頃打たれた三本の杭を示されたものであることが判かる。

そこで念のため右三本の杭は果して十一号線の巾員六米を基準として打たれていたものか、或はその巾員四米を基準として打たれていたものかについて検討するに、検証の結果(昭和二十八年七月十一日調書)によると、原告が指示を受けたと云う土地の東北角に当る地点について、現地で原告が示した地点も、被告が指示した地点も共に十一号線道路の完成部分(巾員二十尺、余六米に当るものとみられる)(前記(ロ)に説明した二百二米の道路の北続きの道路で検証当時すでに六米の巾員を以つて完成していたもの)の東西各両側の線を北から南へ延長してみると、丁度将来巾員六米の十一号線道路の敷地となるべき部分の内部に在ることが判かるから、右三本の杭は十一号線の巾員を四米とする基準によつて打たれていたことが窺われる。(もしその巾員を六米として杭を打つたものとすれば、右の位置が道路の敷地内に存在する道理がない。もしそうだとすると、原告が建築する家屋の一部が十一号線道路上に存在することとなり巾員六米の意味がなくなるからである。)すなわち、原告はその後法律的に為された十一号線の巾員四米を基準とする第一次指定地と同一土地を指示せられたものとみられる。(それ故に当初から十一号線の巾員六米を基準として指示せられた地に建築した原告の建物等を、その後十一号線の巾員を六米に変更したとの理由で取毀つたり、移築する必要はないと云う原告の考え方は誤つていることが判かる)

(ハ)  しかし証人越野一男、塚田利顕(第一、三回)、宮谷四郎(第一、二、三、四回)、遠藤武一(第一、二、三回)、石田惣二の各証言及び成立に争のない乙第三号証の三、四を綜合すると、被告は第一次指定後国庫補助金を得るためには、十一号線の幅員を再び四米から六米に変更する必要が生じたのと、仮換地に対して石田惣二(仮換地指定前は金津駅前角地を林喜助から賃借し同所で飲食店を経営していたもの)から従前の土地が角地であつたのに仮換地として角地を与えられなかつたことについての不服の申出があり、一方原告からも仮換地の坪数が過少であるとの異議の申立があつたので、被告は彼此勘案の上、この際十一号線の幅員を四米から六米に変更し、同時に、石田惣二に対しては施行細則第十二条、第十三条、第九条に従い同人が借地権を有した土地(右林喜助の所有地)に対する仮換地として角地を指定し、他方原告に対しては、仮換地の坪数を増すこととして、昭和二十七年九月二十四日十一号線の幅員を六米に変更した上第二次指定を行い同年十月四日その旨を原告等関係人に通知したことが判かる。

(ニ)  ところで第一次指定から相当の日時が経過してはいるけれども国庫補助金を得るため十一号線の幅員を再度六米に変更し、これに伴つて第一次指定を第二次指定のとおり変更したこと、第二次指定を為すに当り、もと角地を使用していた石田惣二が従前の角地を使用し得るように取扱つたこと及び成立に争のない甲第二十号証の一、二、三と原告本人尋問の結果によつて明白なとおり従前の土地が駅前角地から西側へ二戸目の位置に存在した原告に対しても同じく角地から西方二戸目に当る土地を指定したのはまことに妥当な措置であつて、以上各事実は施行細則第三十条に云う「特別事情」に当るとみるを相当とする。

それ故に原告の特別事情に関する主張も亦採用できない。

(6)  つぎに同(九)の(2)の移転命令、代執行に関する主張について考える。右主張はいずれも第二次指定が違法であることを前提とするものであるが、すでに認定したとおり第二次指定に何等の違法が認められない以上右主張も亦採用できない。

(7)  最後に同(九)の(3)の本換地の違法の主張について考える。

本換地指定は昭和二十九年三月十八日行われ、同年八月十七日知事の認可があり、同日付県報でその旨を告示し、昭和三十二年五月二十日その登記が完了せられたことは、成立に争のない乙第二十号証、第二十一号証、第二十二号証の一、二、証人西川良吉(第二回)宮谷四郎(第五回)の各証言により認められる。

ところで都市計画法第十二条第二項(改正前の規定)により準用せられる旧耕地整理法第三十条第四項、第十七条からみて本換地は前記告示の日からその効力を生ずるものと解せられるから、本件本換地指定は昭和二十九年八月十七日の告示を以つてその効力を発生したものと認められる。

そして原告の主張中本換地指定についての区画整理委員会不適法の主張に関する部分はすでに前記(4)において説明したとおり理由がなく、本換地指定は第二次指定の違法を承継した違法があるとの主張は右(6)において説明したのと同一理由により失当である。

以上認定したとおり原告の主張する第二次指定、本換地指定、第二次指定を前提とする各移転命令並に各代執行の通知にはその主張の違法がなく、いずれも適法であるから、その余の点の判断を待つまでもなく、その各取消を求める原告の請求は失当であると共に、これ等の処分の取消を前提とする原状回復を求める請求も亦失当と云わなければならない。

よつて原告の請求はすべて失当であるからこれを棄却すべきものとし、訴訟費用につき民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 神谷敏夫 市原忠厚 川村フク子)

(別紙目録省略)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例